実は、法律(道路運送法)には「高速バス」という用語は登場しない。現行の道路運送法は1951年に生まれているが、その時点では高速道路も高速バスも存在しなかった。
同法においてバス事業は、バス事業者があらかじめ経路やダイヤ、運賃を定め不特定の乗客から運賃を収受し運行する「乗り合いバス(一般的には「路線バス」)」と、団体が借り上げてその希望に合わせ運行する「貸し切りバス(一般的には「観光バス」)などに分類されている。
ここまで見てきたように、旅行会社が企画実施するバスツアーの場合、旅行者自身は不特定とも言えるが、バス事業者側から見ると、旅行会社との1個の契約によりその要望に応じ運行するものであるから、貸し切りバスにあたる。
前者の乗り合いバス事業は、多くは地域内の生活の足として運行されるが、都市間あるいは観光地を結ぶ長距離路線も、戦後すぐから散発的に生まれている。64年の名神高速道路のほぼ全通を機に、より長距離を、より高速で結ぶ路線が生まれた。それが高速バスである。法的には、長距離路線バスの延長線上だとして、乗り合いバスの枠組みが適用された。
乗り合いバス事業は、公益性の大きい公共交通機関である。そのため、事業免許はほぼ地域独占的に与えられてきた。国が競争を制限し事業者を保護する代わり、事業者はエリア内の公共交通維持に責任を負う。
電力業界に近いイメージだが、エリアはより細分化され、大都市部では私鉄の沿線ごとに私鉄系バス事業者が割拠し、地方部では県内を数エリアに分けた生活圏ごとにバス事業者が存在する。逆に言えば、新規参入はほぼ困難だ。
高速バスを巡っては多くの利権争いがあったが、83年頃、共同運行制が定着した。起点、終点それぞれで地元の乗り合いバスを運行する事業者同士が手を組み共同で高速バス路線を運行するなら、運輸省(当時)は事業免許を与える、という方針が固まったのだ。
共同運行制こそが、わが国の高速バス事業を大きく成長させた立役者だ。一方、近年、ライバル台頭を許したのも共同運行制の限界ゆえである。来週、この点を詳しくご説明する。
(高速バスマーケティング研究所代表)